もう6年になるんですね。
この時期になると震災の報道を見かけるので思い出しますが普段は全く頭の中にないというのが正直なところです。
ただいくつかの報道を拝見すると、6年経った今でも何か力になれないかと思う自分がいるのもまた事実です。
自分にしかできないこと、やるべきこと、やりたいことは何なのか。と自問していたんですけど、自分の考えを共有する事はできると思ったので6年経つこの日にコメントすることにしました。
共有したいことは、
「普段僕らの周りに当たり前のように存在している人、物というのは当たり前ではないということ。
家族、友人、水、食べ物、電気、服、家、車。その他にもたくさんありますが、そのどれもが当たり前ではないということ。
もしかしたら明日失う可能性だってあるということ。
自分が明日死ぬ可能性だってある。
そんなことを考えてたら今まで当たり前に存在していた僕の周りの人、物にもっと感謝して生きよう」
って思えます。
纏まりのないコメントではありますが、家族を失われた遺族の方々には、微力ながらに遠いイタリアからあなた方のことを考えてる人もいると思ってもらえたら嬉しいです。
--本田圭佑